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本当はお墓はいらない!?

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本当はお墓はいらない!?

本当はお墓はいらない!?

2024/12/27

皆さんお墓について考えた事ってありますか?

 

ご家族が亡くなったあと、お葬式や戒名(法名)以上に大変なのがお墓です。

何が大変かというと値段が高いんです!!

墓石はたいてい100万~200万、墓地の永代使用料もピンキリですが、高いところでは一坪1000万円を超えるところもあります。

そして、毎年管理費が必要になるのでお墓の費用はかなり高額なものになります。

 

近年では、経済的な負担や後継者不在、撤去・移設も高額費用も高額なのでお墓で困っている人も多くなってきてます。

そういった事情から、お墓を持たない・建てれない=「お墓はいらない」と考える人が増えています。

 

お墓という物は世界中にあり、じつは仏教とは関係なく存在している物なのです。

ですが、現代の人の多くは、お墓=仏教と思われています。

 

お墓に対する最大の誤解は「死んだらお墓に入る」というものです。

 

実は仏教では死んでも墓に入れないのです。

なぜなら仏教では、人間は死後、死ぬまでの業(行為)によって、「善因善果、悪因悪果、人因自果」の因果の道理に従って、地獄へ生まれて苦しみを受けるもの、餓鬼道へ落ちて苦しむもの、畜生界・修羅界・人間界・天上界の六つの迷いの世界に生まれ変わるのだと教えられているのです。

したがって、仏教では、死後、墓に入ったり、墓の周辺にとどまることは出来ないのです。

 

お墓について、日本の仏教の最大宗派である浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、このように言われています。

「親鸞閉眼せば賀茂河へ捨てて魚に与うべし」

「賀茂河」というのは、親鸞聖人が晩年を過ごされた京都を流れる川です。
親鸞聖人は常々、「私が死んだら賀茂河へ捨てて、魚に食べさせてくれよ」と言われていたのです。
遺骨は魚に食べられてしまいますので、墓は必要ない、ということです。

 

また、親鸞聖人の先生であり、浄土宗を開かれた法然上人は、このように言われています。

【法然聖人の仰に「我は菩提所をば造まじきなり。我跡は称名あるところがすなわちわが跡なり」と仰られけり。
また、「跡をとぶらう中といいて、位牌、卒都婆をたつるは輪廻するもののすることなり」とぞ仰られけると、先師また御物語なり。】

 

「菩提所」とはお墓のことです。
法然上人は「私は墓は造らなくよい。私の墓は、念仏のある所が墓だ」
とおっしゃっています。
次の「卒都婆」とは、インドの土を盛り上げたお墓のことです。
位牌を置いたり、墓を建てるのは、迷った者のすることだ、とおっしゃっているのです。
やはりお墓は必要ないといわれています。

 

仏教は死んだ人を供養する教えではなく、生きている人が、生きている時に迷いの解決をして、六道輪廻を離れて絶対の幸福になることが目的なのです。

亡くなった方をご縁に、「自分もやがては死んでいかなければならないのか」「自分の人生は一体何なのだろう」と、自らの無常を見つめて仏教を聞くご縁が最も重要なのです。

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